尻垂坂の戦い

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歴史研究会 - History - 183 pages

加賀・越中など北陸の一向一揆は、織田信長と戦った石山本願寺の一向一揆と同様に大量の鉄砲を保有しており、また一向宗の宗徒で構成されていたため団結力も強固であった。謙信にとって一向一揆は、武田信玄や北条氏康に次ぐ強敵であった。謙信はこの尻垂坂の戦いを含む前後一連の戦いでの勝利により、越中において一揆等の反上杉勢力に対する優位が決定的となり、主導権を確立して後に越中を平定。京への上洛を目指す道を拓いた。

上杉謙信と越中一向一揆の対立

越中は元来、加賀・越前等、他の北陸道の国と同様、一向一揆が強固な勢力を持つ国であった。越後の上杉謙信の祖父・長尾能景や父・長尾為景は、越中一向一揆と激しい戦いを繰り広げてきた。謙信が越後守護代として家督を相続し、さらに越後国主になって以降も越中一向一揆との対立は続いた。北信濃・川中島において謙信と敵対した甲斐の武田信玄は、謙信の背後を牽制するため、加賀一向一揆・越中一向一揆を扇動した。弘治2年(1556年)8月23日、謙信の家臣、箕冠城主・大熊朝秀は信玄に通じて謀反を起こし、一揆勢を率いて越中から越後へ攻め入ったが、謙信は上野家成を派遣し、これを破っている。(駒帰の戦い).。永禄3年(1560年)3月29日、謙信は、一揆勢と結び勢力を拡大する越中守護代・神保長職を、その居城・富山城に攻め勝利を収めている。しかし謙信が関東へ出陣し、相模の北条氏康と戦っている間、長職は再起して攻勢に出た。同5年(1562年)9月、謙信は長職を増山城に攻め、降伏させた。永禄11年(1568年)、謙信は、先年家臣団の反逆により追放されていた能登守護・畠山義綱の復権を支援するため、越中へ侵攻。放生津で一揆勢と対陣しつつ、3月16日に守山城へ攻撃を開始した(放生津の戦い)。 これに対し、越中一向一揆の頭領である勝興寺(安養寺御坊)の顕栄は、加賀一向一揆の頭領・金沢御坊の坪坂包明(坪坂伯耆守)に、謙信の越中侵攻を報じ、警戒を呼びかけた(『勝興寺文書』)。25日、謙信の家臣で揚北衆の本庄繁長が本国・越後で反乱を起こしたとの知らせが入り(本庄繁長の乱)、攻撃を中止。越後へ引き返し鎮圧に向かう謙信の背後を突くべく、顕栄は反撃に出ている。

 

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著者紹介

1943年東大阪市生まれ。著書紹介・歴史研究会に参加、歴史大賞」受賞。書籍・『太閤の夢の夢』『政僧・天海と崇伝』『重源』『古事記が紡ぐ一ノ宮の神々』『日本仏教十三宗諸派総覧』『日本神道の神々』『芭蕉紀行漂泊の憧憬』『重源』歴研出版より、『平安僧兵奮戦記』840円。自費出版多数、アマゾン電子書籍・。グーグル・プレイ電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍」」「楽天ブックス電子書籍」多数。『宇都宮城釣天井事件』『芭蕉紀行漂泊の憧憬』『幕藩一揆の攻防』「古事記が描く古代の憧憬』『古代史の群像の標榜』『古事記が紡ぐ一ノ宮の神々』『中世仏教立宗開花』『古事記が描く古代の世界』『徐福・神仙郷に消える』『平城京の麻呂の騒乱』『重源』『天明飢饉の鎮魂』『幕政三改革の世情と功罪』『魏志和人伝』『犬将軍綱吉の治世』『政僧・天海と崇伝』『修験道の神仏』『神仏分離令の功罪』『宇都宮城釣天井事件』『風雲三好一族の攻防』『大久保長安事件の陰謀』『秀次切腹事件』『日本二十三大師の足跡』『日本十三宗諸派総覧』『日本神道の神々』『幕藩・禍根の清算』『幕藩大名家の存亡』『太閤の夢の夢』『南都・北嶺の僧乱記』『戦国大名』・『敗将の有終』『足利将軍家の変遷」『大名家のお家騒動』『小田原征伐の攻防』『秀吉・紀州征伐の攻略』『後白河・院政の攻防』『五山十刹』『将軍家を支えた幕閣』「戦国武将の群像」シーリーズ多数。「歴史の回想」・「高僧名僧伝』シリーズ多数。他。参考資料・歴史大事典・プリタニカ、 ウィキペディア・ニッポニカ・広辞苑・他多数。



 

 

 

 

 

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