長享の乱

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歴史研究会 - History - 181 pages

長享の乱の概略」とは、長享元年(1478年)から永正2年(1505年)にかけて、山内上杉氏の上杉顕定(関東管領)と扇谷上杉氏の上杉定正・上杉朝良との間で繰り広げられた戦いである。文明14年(1484年)の足利成氏と足利義政の都鄙間和睦でついに 30年近くにわたる享徳の乱が終結した。しかし関東公方としてついに認められた足利成氏は関東全体にその権力を行使できる存在ではなく、古河を中心とした一政治権力へと変容してしまった。ただし、公方としての権威は高く、関東の諸勢力にはいまだに無視できない存在だったのである。一方関東管領だった山内上杉氏も、乱の最中で山内上杉憲忠、山内上杉房顕といった当主を若くして失い、さらに乱の途中で家臣の長尾景春が反乱を起こしたため、その権力基盤は大きく揺らいでいたのである。その一方でそれまで傍流に甘んじてきた扇谷上杉氏は太田道灌の活躍もあり大きく躍進した。ところが、である。文明18年( 1488年)7月26日に扇谷上杉定正は太田道灌に対して、上剋下、つまり誅殺を実行したのだ、主家をしのぐほどの太田道灌の飛躍ぶりを警戒したともいわれているが、理由は今のところはっきりしない。ところがこれがまずかったのである。

両上杉氏の争い、太田道灌の非業の死は関東の諸将に衝撃を与えた。そしてその機を逃さなかったのは、傍流である扇谷上杉氏の台頭を苦々しく思っていた、嫡流の山内上杉顕定であった。彼は太田道灌の遺児の太田資康が助けを求めて鉢形城にやってきたこともあり、扇谷上杉定正との対決姿勢に踏み切ったのである。越後守護である父・上杉房定の名代である実兄・上杉定昌と協力し、上野の武士たちを味方につけていく。一方扇谷上杉定正はこの姿勢に当然対抗。足利成氏の支援を受けることに成功したのである。そしてその援軍にはかつて上杉氏に謀反を仕掛けた長尾景春もいた

そして長享元年(1487年)閏11月、白井城の上杉定昌が勧農城の長尾房清を攻撃。いよいよ戦闘に移る。これが長享の乱の始まりであった。長享2年( 1488年)には実薪原、須賀谷原、高見原と各地で激戦が繰り広げられていったが、扇谷上杉氏に足利成氏の息子・足利政氏が味方していたにもかかわらず、戦線は膠着状態へと移っていった。しかし、かつての享徳の乱と同様、両陣営の対立とは別の場所から膠着状態を打ち消す存在が現れてしまったのだ。そう、北条早雲こと伊勢盛時である。


 

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著者紹介

1943年東大阪市生まれ。著書紹介・歴史研究会に参加、歴史大賞」受賞。書籍・『太閤の夢の夢』『政僧・天海と崇伝』『重源』『古事記が紡ぐ一ノ宮の神々』『日本仏教十三宗諸派総覧』『日本神道の神々』『芭蕉紀行漂泊の憧憬』『重源』歴研出版より、『平安僧兵奮戦記』840円。自費出版多数、アマゾン電子書籍・。グーグル・プレイ電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍」」「楽天ブックス電子書籍」多数。『宇都宮城釣天井事件』『芭蕉紀行漂泊の憧憬』『幕藩一揆の攻防』「古事記が描く古代の憧憬』『古代史の群像の標榜』『古事記が紡ぐ一ノ宮の神々』『中世仏教立宗開花』『古事記が描く古代の世界』『徐福・神仙郷に消える』『平城京の麻呂の騒乱』『重源』『天明飢饉の鎮魂』『幕政三改革の世情と功罪』『魏志和人伝』『犬将軍綱吉の治世』『政僧・天海と崇伝』『修験道の神仏』『神仏分離令の功罪』『宇都宮城釣天井事件』『風雲三好一族の攻防』『大久保長安事件の陰謀』『秀次切腹事件』『日本二十三大師の足跡』『日本十三宗諸派総覧』『日本神道の神々』『幕藩・禍根の清算』『幕藩大名家の存亡』『太閤の夢の夢』『南都・北嶺の僧乱記』『戦国大名』・『敗将の有終』『足利将軍家の変遷」『大名家のお家騒動』『小田原征伐の攻防』『秀吉・紀州征伐の攻略』『後白河・院政の攻防』『五山十刹』『将軍家を支えた幕閣』「戦国武将の群像」シーリーズ多数。「歴史の回想」・「高僧名僧伝』シリーズ多数。他。参考資料・歴史大事典・プリタニカ、 ウィキペディア・ニッポニカ・広辞苑・他多数。



 

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