The Zoot-Suit Riots: The Psychology of Symbolic Annihilation

Front Cover
University of Texas Press, 1984 - Social Science - 179 pages
1 Review

Los Angeles, the summer of 1943. For ten days in June, Anglo servicemen and civilians clashed in the streets of the city with young Mexican Americans whose fingertip coats and pegged, draped trousers announced their rebellion. At their height, the riots involved several thousand men and women, fighting with fists, rocks, sticks, and sometimes knives. In the end none were killed, few were seriously injured, and property damage was slight and yet, even today, the zoot-suit riots are remembered and hold emotional and symbolic significance for Mexican Americans and Anglos alike.

The causes of the rioting were complex, as Mazón demonstrates in this illuminating analysis of their psychodynamics. Based in part on previously undisclosed FBI and military records, this engrossing study goes beyond sensational headlines and biased memories to provide an understanding of the zoot-suit riots in the context of both Mexican American and Anglo social history.

 

What people are saying - Write a review

User Review - Flag as inappropriate

マウリシオ・マソンが若者の心理学的考察を行い、新兵の訓練でのフラストレーションと屈辱の鬱憤晴らし、あるいは男らしさの誇示のための暴力について描写している。黒人の戦時の暴動については、上杉参照。『二次大戦下の「アメリカ民主主義」』講談社選書、メチエ、2000年。1943年6月20日、デトロイトの黒人暴動では34人が死亡し、数百人が負傷した。そのなかでも「ズートスート暴動」は水兵が暴動を引き起こした事件として、陸に上陸してメキシコ人を攻撃するなどのタイトルで、マスコミで大きく取り上げられた。そのマスコミのなかには、ロサンゼルスでは枢軸国はギャング戦争を起こしているなどのデマ報道をでっちあげるものもあった。
1942年8月のスリーピー・ラグーン事件とその裁判 地元ギャングのメンバーであったホセ・ディアスが東ロサンゼルスの貯水池に死体で発見され、状況証拠のみから敵対するギャング22人が告訴された。この事件は「非アメリカ的」、「国家への反逆」などアステカの子孫の「生物学的特性」など吹聴され、メキシカンの犯罪分子の仕業として報道機関によって大げさに報道され、陪審員には1人のメキシコ系もおらず、裁判ではそのうち12名が第1級、あるいは第2級殺人罪で起訴された。裁判で全米の注目をあびた警官によるメキシコ人虐殺容疑事件;1942年5月に枢軸国に宣戦布告を行っていたメキシコ政府は人種差別事件として批判。ヒットラーの人種理論、ベルリン、東京でのラジオでこの事件を指摘。このような人種差別的裁判に対して、メキシコ人コミュニティ(バリオ)では裁判の無効を訴える運動、スリーピー・ラグーン裁判被告側委員会(the Sleepy Lagoon Defense Committee)が組織され、そのなかにはリベラルな活動家でジャーナリストであったケアリー・マックウイリアムス、メキシコ人社会の指導者であったホセフィナ・フィエロなどが含まれていた。ロサンゼルスのメキシコ人社会でもっとも影響力のあった新聞『ラ・オピニオン』(La Opinion)も連日裁判を批判する記事を掲載した。これらの広範な人々の根気強い運動の効果もあり、1944年10月、有罪判決は取り消され、被告たちは釈放された。同じ戦時中における白人と黒人の人種暴動はデトロイト、ニューヨーク、その他の全米の主要都市で勃発した 。
だが、ロサンゼルスでのパチューコに対する人種差別的攻撃が強まる中 、次第に、「グラスルート善隣友好」(the Grassroots Good Neighbor ) 集団はパチューコのもつ二重性を評価するメキシコ系アメリカ人の若者(エスニック・メキシカン)として捉え、そのような攻撃は両国間の善隣友好を害し、ファシズムとの戦への敵対的行為であるという姿勢へ変化した。また、CIOは「人種的偏見はサボタージュ」であると、カルディナス政権以来のメキシコ組織労働とCIOの善隣友好・国際的連帯を強調した。また、スリーピー・ラグーン裁判被告側委員会は人種差別が市民権の侵害であり、反差別と平等な権利は真のアメリカニズムであり、ナチのイデオロギーに対抗する国際的運動の一環であることも主張した 。
 

Contents

Introduction
1
The Sleepy Lagoon Case
15
The ZootSuit Yokum Conspiracy
31
Servicemen and ZootSuiters
54
The ZootSuit Riots
67
The Symbols Imagery and Rhetoric of the Riots
78
The Hard to Get At
95
Between Annihilation and Redemption
109
Appendix A
123
Notes
135
Bibliography
151
Index
157
Copyright

Common terms and phrases

References to this book

All Book Search results »

Bibliographic information